本日の肴〈鮃の刺身〉

いつものお店、鮪と鮃に関しては天然物と養殖物が並んで置いてあるのですが、鮃に関してはいつも養殖物を買おてしまいます。
天然物は基本的にでか過ぎて味も大味のような気がして、なんか好みやないんですよね……
でもたぶん鮃だけやね、養殖物の方が旨いのは!

「寺子屋山頭火」 町田康

「物書きの看板を上げておきながら山頭火も知らないでどうする。世の中をなめているのか。殺すぞ」
 と言われた。それがとても嫌だったので山頭火の俳句を読み、ときどきの詩人の考えたことや詩人の人生に思いを馳せ、そのついでに人間が生き、そして死ぬるとはどういうことなのかについて考えてみよう、と決意したのが二週間前。
 だからまだ山頭火のことをよく知らないし、わからないことも多い。けれども知った振りもせず、わからないままに虚心に読んで間違うのも山頭火的か、とも思うので、読んで考えたことをそのままここに綴ることにする。
(第一回 分け入つても分け入つても)

春陽堂書店の web 新小説にて2020年2月1日号から2021年9月1日号にかけて連載されていたもの。
思ってた以上に面白くて、ほぼお名前しか知らなんだ〈種田山頭火〉に興味津々。
現在は「町田康の読み解き山頭火」連載中。

老舗出版社、春陽堂書店が運営する                  月額300円也のサブスク。

第一回 分け入つても分け入つても
第二回 分け入らなければならなかったのはなぜか
第三回 家の破産、父の失踪
第四回 切っても切れぬ文芸と銭
第五回 酒屋から本屋へ商売替え
第六回 額縁の行商をはじめたが
第七回 やはり銭の労苦
第八回 苦から句を生む
第九回 奇蹟は銭にならぬ
第十回 不治の宿痾
第十一回 図書館退職する
第十二回 母親が井戸に投身自殺、という因果
第十三回 弟二郎の運命
第十四回 関東大震災に遭う
第十五回 解く術もなひ迷い
第十六回 酔いどれの仁王立ち
第十七回 現れた観音
第十八回 堂守のマージン
第十九回 堂守・耕畝の虚と実
第二十回 解くすべもない惑いの正体

「レイン・ドッグズ」 エイドリアン・マッキンティ

Oh how we danced with the Rose of Tralee,
Her long hair black as a raven,
Oh how we danced and she whispered to me,
You’ll never be going back home.
 トム・ウェイツ “Rain Dogs”、一九八五年

「この本は数十年が経過するまで世に知られることのなかった一九八〇年代の北アイルランドのいくつかの側面を描いたフィクションであり、故ジミー・サヴィルの少年少女性的虐待に対する告発をまとめた 『Giving Victims a Voice(被害者たちに声を、二〇一三 年)』から得た知見にもとづいている。」(著者あとがき)

こんな感想は俺だけかもしれんが、回を重ねるごとにどんどん〈フロスト警部〉シリーズに雰囲気が似てくる気がする。舞台は〈北アイルランド紛争〉で荒れる80年代のアイルランド。当初はもう少々重苦しい空気が漂っていたような記憶があるのだが…… 今回もタイトルは〈トム・ウェイツ〉の楽曲からの引用で、音楽ネタが随所に見られるのもいつもと同じ。 6月には「小説執筆では労働の対価に満たない収入しか得られないという理由で作家廃業を宣言しウーバードライバーに転職してしまった」というシリーズ第6弾が登場の予定。そちらにも期待大!

『気狂いピエロ〈2Kレストア版〉』 テアトル梅田

◆なんともアメリカの映画監督然としたサミュエル・フラーの佇まいに感動!
◆「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ」やて……カッコええ!
◆ “The Big Red One” 観直さねば!
◆たぶん初めてじっくりと観る、アンナ・カリーナ様。実に美しく、感動しました……
◆昨年お亡くなりになられたジャン=ポール・ベルモンド様にあらためて合掌……

「第207回ひらの寄席」 平野区画整理記念会館2階

【番組】
桂二葉 真田小僧
桂雪鹿 癪の合薬
桂春若 鴻池の犬
―中入―
笑福亭喬若 手水廻し
桂坊枝 船弁慶

雨で足元が悪いにもかかわらず、満員の入り。これも二葉さん効果?市民寄席とはいえ、さすがに207回も続いているだけあって、主催者側も見に来ているお客さんも慣れたもの。予定通りにきっちり始まりました。
二葉さんはこのあと神戸新開地喜楽館での出演があるので、前座の雪鹿くんに変わって一番目に登場。近所のゴミ収集車の流す音楽に邪魔されながらも無事、喜楽館へ旅立たれた模様。
期待していた春若さんの「鴻池の犬」と坊枝さんの「船弁慶」、どちらもなかなかの出来で満足、満足。

「モディリアーニ展 ―愛と創作に捧げた35年―」 大阪中之島美術館

◆オープニングから3ヶ月経った大阪中之島美術館。特別展の第2弾は〈モディリアーニ〉。
◆ゴールデンウィーク明けのせいか、思ってたほどには混んでなくて、ゆったりと鑑賞できたのは真にラッキー。

アメデオ・モディリアーニ
「髪をほどいた横たわる裸婦」
1917年 大阪中之島美術館

◆今やもう手に入れようもない〈髪をほどいた横たわる裸婦〉、30年前に買っておいてホンマ良かったね。いやぁ〜この作品、眼力(めじから)が凄いです。隣に並んでいるアントワープ王立美術館〈座る裸婦〉が流し目気味なのに比べて、こちらを真っ直ぐに見据えてくる眼差しに圧倒されます。
◆今後、常設展で展示されるようであれば、何度も足を運びたくなるような作品。

「年年歳歳」 ファン・ジョンウン

以下、斎藤真理子「訳者あとがき」より引用。

 つまり『年年歳歳』は、家族が家族に話さなかったこと、水面下の言葉で織り上げた物語である。言えない言葉を胸にたたんでいるのは、娘たちも同じだ。家族が家族に言わなかったことをつないでいくと、社会や歴史が個人にかけている、見えない巨大な圧力の形がわかってくる。ときどき、言われなかったことが突然言われて衝撃を残すこともあるが、すぐに水の表面は静かになる。だが、その微妙な表面張力のようなものにみなが耐えている。それらは配慮、遠慮、いたわりでもあるが、選んだわけではない人間関係の中でのも がきでもあるだろう。

以下、すんみ「和解せずとも受け入れる愛」より引用。

韓国の激動の時代を生き抜いた1946年生まれのイ・スンイルという女性とその娘たちが中心となる連作小説である。4篇の物語は、それぞれ異なった視点で描かれる。

「廃墓」「無名」で語られるイ・スンイルの人生は苦境の連続だ。幼少期には伝染病や朝鮮戦争で両親を亡くし、親戚の家で女中代わりに使われ、70代になったいまは同じマンションに住む娘の家族の家事を任されている。ちっとも休まらない人生だ。子どもたちはいい人生を歩んでほしいと願うが、「言いたい言葉」「近づくものたち」で描かれる娘たちの人生もそれほどたやすくはない。世知辛い時代だから、女の子だから。登場人物は様々な理由で苦しみ、もがく。

こうして4つの物語は、微妙に重なりながら違った角度からの様相を照らしていく。『年年歳歳』というタイトルに同じ文字が反復されるように、本書は「親/子」「姉/妹」といった対をなす視点からやや変奏された同じ物語が反復して語られることで、異なる姿を提示していくのだ。たとえば、姉妹ケンカのシーン。長女ハン・ヨンジンの視点で描かれる「言いたい言葉」では、家計を支えてきた長女として生の重みが際立つのだが、イ・スンイルの視点で描かれる「無名」からは、姉の一方的な言葉にうんざりする次女ハン・セジンの気持ちや娘たちに何らかの重荷を背負わせてしまったというイ・スンイルの呵責がひしひしと伝わる。3人が共有している1つの出来事は、それぞれの意味を帯びている。

人物たちが理解し合ったり和解したりすることはない。だが、本音を胸に潜めたまま自分の置かれている現実に耐えつつも、付かず離れず寄り添っている。

次女の女友だちで同居人であるハ・ミヨンは、フランスの映画監督ミア・ハンセン=ラヴの「近づくものたち」について「ロマンスと和解への期待を、それを期待する人たちを適切に失望させるが、それがほんとにいい」という。「泣いたり、がっかりしたり、幻滅したり腹を立てたりしながら、つまり愛しながら」と。ロマンスや和解という1つの物語に回収しない感覚。それぞれに歴史や人生があることを受け入れるこの感覚がこの作品の肝であり、「愛」なのかもしれないと思えてくる。

本日の朝ごはん〈S&B 大阪風 あまからビーフカレー〉

いやぁ〜、吃驚仰天! 大好きな〈インデアンカレー〉に非常に近い味!
たまたま近所の業務用スーパーで発見。「果実と野菜の甘味、後ひく辛さ」という惹句を見て、ピンと来ましたねぇ…… 
早速大量に買って来ようっと!

大阪でカレーといえばインデアン!

「白子の柚子釜 一膳めし屋丸九④」 中島久枝

◆田舎料理
 ごつごつとして肉の厚い焼き物の器に、焼いた魚がのっていた。さんまに鮎に金目鯛。どれも干したり、みそ漬けにしてある。別の鉢には蒸し焼きにしたきのこと青菜がたっぷりと盛られ、三杯酢をかけて食べる。芋のはいったみそ汁、自家製のかぶの漬物、土鍋で炊いたご飯には香ばしく炒った大豆が入っていた。(109頁)

◆味噌汁
 尾張、三河あたりでつくられているのは、赤だしとも呼ばれる豆みそだ。地域によって八丁みそ、三河みそと呼ばれる独特のみそは、熟成期間が長いので色は黒っぽく、こくがある。
 江戸のみそは大豆とほとんど同量の米麹を使っているので、色は濃い赤褐色で、やや甘口。さっぱりとした味である。(139頁)

◆出世魚
「すずきは出世魚なの。成長するにしたがって名前が変わるのよ。五寸(約十五センチ)くらいまでは木っ端(こっぱ)。十寸ぐらいまでをせいご、二尺までは福子(ふっこ)、それより大きくなるとすずき」
「そっかぁ。あたしの知っているのは木っ端だ」
 丸九で扱うのはせいごが多い。
 一人前が一尾。皿から尾がはみだすくらいの大きさが喜ばれる。
 若いから脂があっさりとしている。だが、いいだしが出る。それを醤油と砂糖と酒でこっくりと煮るのだ。(181頁)

◆蜘蛛腸(くもわた)の汁物
「なんでもさ、すずきの蜘蛛腸の汁物があるそうなんだ。すずきの腸っていうのは細くて蜘蛛の巣みたいになっている。浮袋なんかといっしょに塩でもんでよく洗って、軽くあぶって湯を注ぐ。それが、うまいのなんのって・・・・・・」(182頁)