「家族と社会が壊れるとき」 是枝裕和 ケン・ローチ

「私は依頼人でも顧客でもユーザーでもない。怠け者でも、たかり屋でも、物乞いでも泥棒でもない。国民保険番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思ってる。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。私はダニエル・ブレイク。人間だ。犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度というものを。私はダニエル・ブレイク。一人の市民だ。それ以上でも以下でもない。ありがとう。」
 ――『わたしは、ダニエル・ブレイク』より

かたや1936年生まれ筋金入りの〈社会主義者〉のケン・ローチ、こなたイデオロギーというものに対する幻想が終わったあとに青春時代を過ごしたという是枝裕和。あの河瀨直美に読ませてやりたい一冊。

『クライ・マッチョ』 なんばパークスシネマ

う〜ん、イーストウッドの主演はもうかなり厳しいのではないかい? 気になって、話が入ってこないよ…… 『グラン・トリノ』で一応自ら終止符を打ったイーストウッドですが、その後の『運び屋』は洒落が効いててなかなかよかった。しかしながら監督した前作『リチャード・ジュエル』や前前前作の『15時17分、パリ行き』も個人的には少々疑問あり。いやぁ〜、実に淋しいかぎりですねぇ……

『座頭市物語@生誕百年記念 映画監督 三隅研次』 シネ・ヌーヴォ

この日の朝、たまたま見ていた朝ドラ「カムカムエブリバディ」の映画館のシーンで、この『座頭市物語』の文字が見えた時はなんかうれしかったですね。
で、映画を見た感想。
この手の作品がコンスタントに量産されていたという昭和30年代の日本映画界のなんと豊かなことよ!と感心することしきり……

『ミス・マルクス』 シネ・ヌーヴォX

▶巷の評判はイマイチですが、個人的には結構楽しんだ一本。
▶ロモーラ・ガライってこんなにいい役者やったっけ?
▶最後、エリノアが踊り狂うシーンが好き!しかも後ろでエイブリングは寝てるし!
▶カールがいくら糞野郎でも彼の思想や著作が糞になる訳じゃないから……
▶パンク・ロックとクラシックが同居するサントラ盤も面白い。

で、以下「ELLE誌」より引用。

19世紀末、社会主義運動の女性リーダーが突然亡くなったニュースは世界を震撼させた。あのカール・マルクスがすべてを託したと言っても過言ではないほどの正統なるマルクス主義の後継者であり、労働者、女性、子どもを貧困と階級から解放しようとした、“ミス・マルクス”ことエリノアが、毒父、そして内縁の夫に搾取され、苦悩の中43年の短い人生に自ら幕を下ろすまで 。
   text by keiichi koyama  2021/09/03

◆裕福な社会主義者

カール・マルクスはプロイセン王国トリエル(現在のドイツ・トリーア)で1818年5月5日、ユダヤ系の上告裁判所付き弁護士の父ハインリッヒの一家に生まれた。あのロスチャイルド家にも繋がる家系のかなり裕福なユダヤ人家庭。親戚には銀行家のベンジャミン・フレデリック・フィリップス(エレクトロニクスメーカー、フィリップスの創業者の父)がいた。豊かな子ども時代を、フランス哲学を学び、ラシーヌの作品などから影響を受けながら過ごした。
 
18歳で婚約。妻は姉の親友で幼馴染のイエニー・フォン・ヴェストファーレン。彼女は貴族の出身で、義理の兄は内務大臣を務めた。長男を亡くした一家にとって大切な次男。彼は大切に育てられ、父、母、妻、そして姉の4人に助けられて一生を送った、典型的な“お坊ちゃん”だった。

そのため、基本的に経済的にも精神的にも依存が激しく、“自分の尻を自分で拭えない”人物であったことは否定しようがない。

妻への愛の手紙も多く残されており、彼女の貴族の出自を誇ってもいたが、ひっそり妻の幼い頃からの召使ヘレーネ・デムート(通称レンシェン/レンヘン)に性の相手をさせ、妊娠させ、その子供を親友エンゲルスに預け彼の子どもとして育てさせるなど、行いがすべてを物語る。

他人を頼らなければ十分な暮らしもできない中、イエニーにも妊娠と出産を繰り返させた。1844年に最初の娘小イエニー(ジェニー)を出産。この頃手掛けた雑誌『独仏年誌』は失敗。ベルギーに移住。次いで1846年に次女ラウラ(ローラ)、翌年長男エドガー、ロンドンで1849年次男ハインリッヒも生まれる。しかしマルクスの子どもたちは次々に亡くなっていく。

最初に1950年ハインリッヒが1歳で命を落とす。このときイエニーの母からのわずかな仕送りを頼りに生活し、貧しさの中で治療もできず、葬儀さえ出せなかった。仕方なく棺代を他人から借りざるを得なかったという。そんな中でも1851年に三女フランチェスカが誕生するが、翌年すぐに亡くなる。1853年に長男エドガーが結核にかかりどんどん悪化する中、再び妻を妊娠させ、1855年の1月に四女エリノアが生まれると、エドガーは入れ替わるようにこの世を去った。

哀しみのカールを救ったのはイエニーの朗らかさと財産だった。長男エドガーが亡くなった年、イエニーの伯父ハインリッヒ・ゲオルグ・フォン・ウェストハーレンの遺産が転がり込んできたことで助かったのだった。
 
カールはすべてのエネルギーを『資本論』を書くために使った。経済について熱弁しながらもカール本人には稼ぐ能力がほぼないため、ことあるごとに親友で仕事上のパートナー、フリードリヒ・エンゲルスが資金を援助。その数はマルクスに弱みを握られているのではないかと疑いたくなるほど。さらに言えば、字が下手すぎて鉄道局の書記にすら採用されなかった。そのため原稿は妻イエニーが清書するしかなかったという。

世俗の余計なことを考えなくていいブルジョワ的生活があればこそ、資本主義と労働者の仕組みを冷静に分析できたと言えるかもしれないが、同時に支える側には理不尽なほど負担をかけていた。

◆父が社会主義を託した天才少女

子供好きで有名だったマルクス。遊びはシェイクスピアごっこ、暇つぶしは社会主義論とグリム童話。おかげで娘たちは皆優秀に、とりわけ末娘のエリノアは天才的な頭脳を披歴した。父のプロレタリア主義を理解し、チェスの相手もした。カトリックにあこがれを抱いたときに、父マルクスがなぜ宗教がいけないかを論理的に説明したところ、すべてを理解し納得することすらできたという。このときエリノア、わずか6歳。姉のイエニーとローラももちろん父の政治教育を受けたが容姿も母そっくりで、母の道、つまり妻としての道をたどった。だが、エリノアだけは父の生き写しとなり、政治に強い関心を寄せたのだった。

ハインドマン(英国社会主義者)は「マルクスに匹敵する身体的なエネルギーと決断力をもち、彼女の知性は文学上、政治学上の成功が可能だったはず」で、父親を超えることすらできたはずだと語っている。しかし同時に「父親の才能と比べて自分が劣っていると感じていたのか、マルクスの欠点を見抜くことができなかった」という。父は娘に自己肯定感を教えなかった。もしくはマルクスは娘に自分を超えることを許さなかったのかもしれない。エリノアは自分でも「父親の才能を受け継がなかった」と語っている。

エリノア自身は見逃していたわけだが、彼女は父がまったくもっていなかった資質を携えていた。マルクスの周辺の人物が異口同音に語る「高潔さ」だ。他人に対するシンパシーとそれに伴う献身性。他人をケアするために自分のエネルギーを惜しみなく注ぐ姿勢は真のリーダー力を培った。

◆父親に阻止された恋

父の右腕となって活躍する最中、16歳の天才少女は17歳年上のフランス人ジャーナリストのプロスペール=オリヴィエ・リサガレーと恋に落ちる。ところが年齢の差もあってマルクスは猛反対。婚約者と偉大な父親の板挟みに合い苦しみ、ついに許可が下りた頃には二人の愛情は醒め、破局を迎えてしまった。

『資本論』第一巻が出版された時、カールはすでに49歳。イエニーは53歳。しばらくすると身体は衰え始め、治療に専念するようになった。その後、1881年にイエニーが亡くなるまで、末娘エレノアと隠れた愛人レンシェンが共に介護。マルクスへの介護も、妻を追うように1883年3月14日、彼が亡くなるまで続けられた。

残念ながら労働者の搾取を否定する立場だったマルクスは、あらゆる人のケア(財政的にも精神的にも肉体的にも)を浪費したのだ。

◆終わらないケア労働と破滅の始まり

両親の介護からようやく解放されると、そのあとすぐ今度は甥っ子の世話が待っていた。マルクスより2カ月前、姉ジェニーが産後の肥立ちが悪く(膀胱がんという説もある)亡くなったため引き取ることに。エリノア、このとき28歳。

そこに恋の相手が現れる。社会主義グループの中にいた生物学者で劇作家のエドワード・エイヴリングだ。他人に尽くしたいと思う精神と、他人に依存される生活から解放されたいという欲求と、ふたつに引き裂かれながら、エリノアは恋人と甥っ子とを天秤にかけた。

これまで他人の世話ばかりしてきた。今度は私が幸せになる番……。

甥っ子を父親に送り返し、エイヴリングのもとに奔る。

しかしこの選択は、新たな依存関係を生み出しただけだった。

このエイヴリングが彼女の高潔な博愛主義を、自分のエゴイズムのために搾取したことを忘れてはいけない。エリノアの友人オリヴ・シュライナーが「近づくと虫唾が走る」と表現したほど、エイヴリングは他人の愛情を利用することに恥じらいがなかった。
 
搾取構造だけを見れば、父マルクスとエイヴリングはそっくりだ。なぜそんな相手を選んだのか。「マルクスとエイヴリングはある意味正反対だと言えます。マルクスの性格は非常に“ドイツ的”であり、遊びがありませんでした。逆にエイヴリングは自由人でまさにアーティスト。そこに惹かれたのでしょう」と語るのは、エリノアの人生を映画化した映画監督『ミス・マルクス』のスザンナ・ニキャレッリだ。

エイヴリングが社会主義に傾倒していたのは、放蕩生活を送っても余裕のある暮らし、つまりはブルジョワ的生活を送りたいと考える自分の都合の良さを、資本主義を叩くことによって正当化できると考えていたからにすぎない。エリノアが社会主義をアメリカに広めるツアーに参加したときは、予算も考えず浪費。帰国後党にたしなめられている。そのうえアヘン中毒になり、借金も返済しきれなくなっていった。当然、友人たちは別れるべきだと進言。

◆捨てられないダメ男の赦せない裏切り

それでもエリノアはエイヴリングと別れなかった。

なぜ彼女ほどの人物がエイヴリングのような人間に堪えられたのか不思議に思える。だが父による搾取に慣れていたエリノアにとっては、甘受しやすい存在だったと捉えれば納得できる。生活費も渡したし、アヘン癖にまで付き合った。父の革命論を信じ続けてきたように、一旦愛したエイヴリングという一種の「主義」を否定することができなかった。鎖を切って飛び立つことに恐怖していたのかもしれない。こうして彼に献身力をイデオロギーを媒介に搾取され、エリノアは愛情の喜びと依存の苦しみの狭間でがんじがらめになり、ますます苦悩していく。

そしてついに彼女の耐性が限界に達する事件が起こる。
 
女性労働者や児童労働からの解放運動もリードし、ますます彼女の能力は社会に必要とされていった最中に、自分との結婚の可能性を否定してきたエイヴリングが、よりにもよって20以上も年下の女優とこっそり結婚していたことが判明したのだ。

貧しく利己的なエイヴリングにとって、稼ぐエリノアは食い扶持だったと言える。社会主義のリーダーとして、優れた言語能力をもち、優秀な翻訳者として経済力を携えていたエリノアを、「恋愛」という美しいレースで本音を上手に隠し搾取していただけ。多くの女性と浮名を流した彼にとって「恋愛」は食べていく手段だった。

15年もの内縁関係を否定する大きな裏切り。「彼女は父という男性に才能を育まれ、その分男性に大きく失望したのです」。膨大な資料をリサーチしたニキャレッリ監督が解説する。「しかし、彼女が亡くなったのは決して恋愛に絶望したからではありません。女性が本当の意味で自由になるためには、闘い抜かなければいけない。その最後の闘いを見せたのだと私は思っています」。
 
1898年3月、エリノアは青酸カリを飲んで自ら命を絶った。

この“事件”の捜査で、エイヴリングはエリノアが妻であることを否定した。法廷で自殺を仄めかされたことが以前にもあるか問われたとき、「はい、何度も。でも冗談だと聞き流していました」と他人事のように答えたという。
 
この悲劇は残念ながらエリノアの死で収まらなかった。彼女が所有していた偉大な父マルクスの遺稿の権利を巡って、マルクス主義の使徒たちが争いを巻き起こし、騒動に巻き込まれた唯一の生き残りである姉ローラは夫とともに自殺した。不思議なことにエリノアは彼女が持っていたマルクス関連の著作権をエイヴリングに相続していた。彼女が一生かけて搾取され続けたマルクスとマルクス主義への最後の復讐だったのかもしれない。

エリノアを失ったエイヴリングは間もなく小さな部屋の隅でひっそり死んだ。

「娘を持つ父、そしてすべての男性に彼女の物語を知ってほしいのです。父が自分のように育てた娘に、そして女性にどんな世界が待っているのか」。前述のニキャレッリ監督も訴える。父が娘にリーダーシップを、独立心を伝えることで多くの偉大な女性たちが世界に現れてきた。しかし残念ながら彼女の死から100年以上を経て、父親たちの多くは女性の前に立ちはだかる理不尽な壁を知らない。今もなお。

【参考文献】
『Eleanor Marx: A Life』by Rachel Holmes, Bloomsbury 2016
『Tussy is Me』by Michael Hestings
『エリノア・マルクス 1855-1898 ある社会主義者の悲劇』2010 みすず書房 オンデマンド版
『宮本百合子選集 第10巻』 1969

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』 なんばパークスシネマ

◆町山智浩がラジオで力説していたほどには感動しなかったかなぁ……
◆昨年公開された『007』もそうだったけれど、シリーズ最終回ということで、楽屋オチの答え合わせというか、壮大なるネタ振りに対する壮大なるツッコミというか、スパイダーマン・マニアにとってはたまらないものがあるのかも……

「青嵐の庭にすわる 「日日是好日」物語」 森下典子

◆2022年最初の読了本はこれ!
◆やっぱり映画の現場っていいですねぇ……
◆読んでる最中に映画本篇が観たくなり、半分読んだところで〈アマプラ〉にて鑑賞。で、その後に読了したのですが、なんかお正月に相応しいものを読んだ気分!

以下、著者インタビューより引用

20歳で始めたお茶が人生の喜びや試練に寄り添ってくれた。そんな自伝エッセーが「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」のタイトルで映画化、平成30年秋に公開された。主人公・典子のお茶の先生を演じた樹木希林さんら出演者、スタッフとの出会いを通じ、自らの人生を見つめ直したのが本書だ。

映画では原作者、出演者に加え、撮影でお茶の場面をチェックし「OK」を出す指導役も務めた。

「指導役は、今思い出しても心臓をギュッとつかまれるほどの緊張感。でも、映画をみんなで作るんだという澄んだ空気が現場に流れていて気持ち良かった」

樹木さんは当時すでに病気を抱えていたが、「大丈夫よ、この映画を撮るまでは」と意気込みを見せ、完成後の記者会見まで終えて逝った。撮影中は気さくに控室へ招く一方、濃茶の点前をたった3回見ただけで演じる「神業」も。公開にも目を配っていたという。

「やると決めた映画に最後まで丹精込めてかかわった。仕事をするってそういうことなのよと教えられた。樹木さんと過ごした時間は財産です」

樹木さんがセリフを口にすると、「台本の言葉の、奥の奥にある意味が立ち上がってきて」目の覚める思いがした。そして、ある場面の撮影中、涙が止まらなくなった。

「ぼろぼろ泣きました。その心境を自分で理解したくて、この本を書いたともいえる。20歳だった自分が、いつの間にか、あの頃の先生の気持ちが手に取るように分かる年齢になっていたという感慨です」

自身の著作からは「年を取るのも悪くない」という人生の味わいが伝わる。本書も「還暦を過ぎても新しい体験、出会いが財産になる」と教える。

「明日に向かって人が元気に歩いていける。これからも、そういうものを書いていきたい」

(産経ニュース 2021年12月26日掲載 三保谷浩輝)

『日日是好日』 amazon prime video

◆この映画、大袈裟にはなにも起こらないのですが、実際にはいろいろとあるんです。人生には!
◆四季がある国に生まれたことに感謝、感謝!
◆ホンマ、原作を読んだときもそうでしたが〈茶道〉に興味津々になりますよね。
◆あんまりみんなが誉めるので〈樹木希林〉の出演作は観ないようにしていたのですが、確かにいいですね……

ホンマ、原作もいいのです!

◆お正月からなかなかエエもん観せてもらいました……

『マクベス』 シネ・リーブル梅田

▶2020年最初に選んだ作品はコレ!
▶ジョエル・コーエン単独初監督作品。
▶オスカー俳優、デンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドの共演。
▶ただし芸達者たちの演技も、このシェークスピア作品の理解の一助となっているかといえば、答えはノーである。
▶モノクロ・スタンダードの画面は重厚感があり厳かな雰囲気。
▶魔女役のキャサリン・ハンターの演技は一見の価値あり。
▶Amazon や Netflix 、この Apple TV+ にしても、自宅の50インチくらいの画面ではもったいない作品が多すぎると〈映画は映画館で観る派〉は思うのであります!

『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』 シネ・リーブル梅田

▶高校生の頃に兄貴が購読していた「スイングジャーナル」で見て初めて買ったジャズのレコードがコルトレーンの「至上の愛」でした。
▶勝手に天才だと思いこんでいたのですが、どうも努力の人のようですね。
▶証言する人々誰もが彼の事を褒めまくるのですが、本当に人間的には出来たお方だったようで、ミュージシャンとしては珍しいパターンですね。
▶最後の方で、唐突に日本人のコルトレーン蒐集家が出て来てビックリ!なんか興醒めでした……

ジミー・ヒースが言う通り「パート2:決意」は
今聴いてもゾクゾクします。

『君は永遠にそいつらより若い』 シネ・ヌーヴォX

◆滅多に足を運ぶことがない日本映画の新作。たぶん5年ぶりくらいでしょうか。
◆主役の女性二人のキャスティングが佐久間由衣さんと奈緒さんに決まった時点で、この作品の勝利は決定づけられていたような感じですね。
◆十年以上前に読んだ原作は、さすがにさっぱり憶えていませんでしたが、とてもいい感じの作品に仕上がってました。
◆オフィシャルのプログラムも気合が入っていていいです。思わず買ってしまった……

原作者・津村記久子のコメント

自分の書いた小説はすべてどうやって書いたか思い出せないのですが、中でも書いてから十五年が経過したこの作品は、今となっては別の人が書いたようにも思えます。けれども、今映画という形になって、自分が描きたかった堀貝佐世の鷹揚さは、確かに誰かの支えになるものだと、改めて信頼させてもらえたように感じました。自分自身の物語に囚われすぎず、簡単に誰かの苦しみや使命を共有してしまう堀貝や吉崎の姿は、自分が小説を書き始めた頃から今まで、一貫して描きたいと願ってきたおおらかな人間の姿で、わたしが常に誰かに見出したいと思っている態度の具現でもありました。
映画に関わられたすべての方に、改めて、他者に優しくあることの力を強く肯定し、このように提示してくださったことに、感謝を申し上げます。この小説を書いてよかったです。ありがとうございました。

気合いはいりまくり、1,800円也!